コーヒー、もう一杯

明日の午後6時に…
   〜盗聴に関する一考察〜

 1988年。
 講師4人。
 ひとり1週間で、延べ4週間の研修を受けました。
 講師は、すべて米国人です。CIAに28年間在職し、在職中は特にスパイに対する作戦担当として、ソ連、中国をターゲットとしていたF氏をはじめ、米陸軍の諜報部門で最終的には4年間、教育担当であったW氏。他2名も同じような経歴を持った人物でした。
 議題は、「盗聴装置の探査方法について」。
 冷戦時代の東西スパイ活動を主とした盗聴の歴史、民間企業の産業スパイ活動の実例、機密情報を盗む方法、盗聴器の仕掛け方、そして、盗聴装置の探査方法という内容の研修でした。
 まるでスパイ映画や小説の世界の出来事でした。そして、この年から、「盗聴装置の探査」という仕事を請け負うことになりました。

 コマーシャルをすることもなく、決して表には現れにくい仕事ですが、1988年以来、随分と依頼先の企業等で仕事をしてきました。
 約15年前の通信事情と今日では、すさまじいばかりの変化、進歩があります。盗聴探査機器も随分と変わってきました。研修は、当時の最新機器(アメリカ製、ヨーロッパ製)で行われましたが、今ではそれらの機器は一部を除き、ほとんど使わなくなりました。技術は、速いサイクルで陳腐化していきますが、この仕事における基本的な姿勢(取り組み方)は、当時の研修で学んだことが今でもそのまま使えるようです。

 東欧諸国へ出張した時、ブルガリアのソフィアで、日本大使館のS氏から聞いた話をひとつ紹介します。
 当時、共産圏では、当局による盗聴や尾行があたりまえのように行われていました。日本大使館に勤務している日本人の方たちも、当然、ターゲットにされています。家族を含め、はじめからそのことを理解したうえでの海外赴任です。

 現地で借りているアパートの電話も当然、盗聴されています。

 ところで、ここソフィアでは、いつも行列ができているレストランがあるそうです。何時行っても並んでいるので、なかなかそこで食べることができません。特に、肉料理が美味しいそうです。休日に、S氏とK氏のご夫婦4人で、そのレストランに行こうと、電話で話し合いました。待ち合わせの夕方、そのレストランに行ってみると、ちょうど4人分の席が空いていました。これはラッキー、今日はついているなあと、4人で美味しい肉料理を食べたそうです。

 ブルガリアという地での海外赴任で、奥さんたちの楽しみがひとつ増えました。
 ところが、職場で、また行きたいねと話をして、そのレストランへ行くと、必ず行列に並ばなければならないそうです。人気のレストランですから、外交官といえども、当然行列に参加しなければ、美味しい肉料理は食べられません。
このパターンでは、先日、たまたま4人分が空いていたようなことは2度となかったそうです。

 ところが、電話でその話をしたときには、必ず、人数分の席が、空いているのだそうです。
 不思議ですねえ。
 その後は、そのレストランへ行くときは、必ず、お互いに電話で、約束の日時を言うのだそうです。

「Kさん、今度また、例のレストランでご一緒しませんか」
「いいですねえ。あそこは、ワインも美味しいですし、明日の夕食にどうでしょう」
「いいですねえ。それでは、明日、夕方6時ということでいかがでしょう」
「はい、解りました。明日の午後6時ですね」
「でも、混んでいたらどうしましょう。その時は、あきらめますか」
「そうですねえ。でも、とりあえず行ってみますか。明日の午後6時に・・・・」

 ストレスのたまる共産圏での生活であろうことは、私の想像を絶することだと思われますが、S氏は、面白おかしくこのような話を聞かせ、楽しませてくれました。

 ひとつ残念だったことは、私たちの日程が、明日の午後6時には、次の出張先、プラハに到着していなければいけないということでありました。

(2009/06/01)


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